2026年3月9日月曜日

精製の腕が上がるほど、結晶は消えていった――十年越しに解けた謎

構造生物学の研究には、小さな謎解きを積み重ねていくようなところがあります。そしてときどき、その謎が思いがけない結末を用意していることもあります。

先日、共同研究者から一通のメールが届きました。長いあいだ一緒に苦労し、私も構造決定の一部を分担していた「ある酵素」の結晶構造が、SAD(単波長異常分散法)でようやく解けた、という報告です。ただ、その後に少し残念な話が続いていました。

苦労の末に得られた美しい結晶の正体は、目的の酵素ではなく、精製の途中で紛れ込んだ別のタンパク質――いわゆるコンタミ(不純物)だった、というのです。

この分野では時々耳にする話ではあります。ただ、メールを読みながら、私はただ同情するのとは別に、学生の頃から十年以上ずっと心に引っかかっていた出来事を思い出していました。

少しずつ消えていった結晶

話は1990年代、私がまだ学生だった頃にさかのぼります。当時の私は、ある好熱菌の酵素の結晶化と構造解析に取り組んでいました。

この酵素の精製条件と結晶化条件は、すでに研究室の先輩が見つけていました。私が最初に試したときも問題なく再現でき、「自分の腕が先輩に劣っているわけではなさそうだ」と、ひとまず胸をなでおろしたのを覚えています。

ところが、そこから実験は妙な方向に進んでいきます。タンパク質を精製し直すたびに、結晶が出たり出なかったりするようになったのです。今になって振り返ると、少し皮肉な事実に気づきます。精製の腕が上がって純度が高くなるほど、かえって結晶は出にくくなっていきました。そして最後には、ハンギングドロップの液滴から、結晶は完全に姿を消してしまいました。

運よく手元に残っていたX線回折データも、どこか腑に落ちないものでした。双晶(twin)を判定してみると、むしろ「普通以上に双晶ではない」という妙な結果が出ます。ネイティブパターソン図には大きなピークがあり、偽並進(pseudo-translation)があることは明らかでした。空間群は C2 なのか、それとも R32 なのか。分子置換で素直に解けそうなデータのはずなのに、どう試しても解けません。

結局、その構造は解けないまま、時間だけが過ぎていきました。もっとも、並行して進めていた他の酵素の解析はうまくいっていたので、この一件が致命傷になることはなく、無事に学位を取って大学院を修了できました。それでも、心のどこかには小さな棘のようなものが残りました。

十年後にわかったこと

それから十年以上が過ぎた、ある日のことです。その頃の私は別の研究手法を主に使っていて、構造解析からはしばらく離れていました。ただ、そろそろ解析を再開する予定があり、最新の解析プログラムを立ち上げて準備をしているところでした。

動作確認も兼ねて、昔のあの好熱菌の酵素のネイティブデータと、水銀誘導体のデータを引っ張り出してきました。最新版の解析ソフト(autoSHARP)に読ませてSIR(重原子同型置換法)を走らせてみると、拍子抜けするほどあっさりと位相が決まってしまったのです。主鎖も、大部分が自動でトレースされました。

ついに解けた。そう思ったのも束の間でした。組み上がった主鎖は、本来の標的であるはずの酵素の予測モデルと、まったく合いません。

不思議に思って、得られた主鎖構造を立体構造データベースのDALI Serverに投げて検索してみました。

表示された結果を見て、私は思わず「なんと」と声を漏らしていました。

そこにあったのは、大腸菌由来の inorganic pyrophosphatase(無機ピロホスファターゼ)。発現の宿主に使っていた、大腸菌のタンパク質でした。「まあ、大腸菌を使ったのだから、あり得ない話ではないな」と、自分でも意外なほどすんなり受け入れていました。

ここで、ようやく点と点がつながりました。なぜ、先輩の条件を再現できた後になって、精製の腕が上がるほど結晶が出なくなったのか。答えは単純です。私がカバーガラスの下の液滴で大事に育てていたのは目的の酵素ではなく、ごく微量に混ざっていた大腸菌のコンタミだったからです。精製がうまくなり、不純物をきれいに取り除けるようになった結果、皮肉なことに「結晶の元」を自分の手で捨てていた、というわけです。

同じ罠にはまった研究者たち

改めて論文を調べてみると、この大腸菌の inorganic pyrophosphatase が、なかなか厄介な相手であることがわかりました。精製したタンパク質のなかに痕跡程度しか含まれていなくても、本来の目的タンパク質より先に、きれいに結晶化してしまうのです。

同じように騙された研究者は、世界中にいました。あるグループは別のタンパク質だと思い込んで論文を発表してしまい、後になって「実は大腸菌のコンタミでした」と訂正(Erratum)を出していました。また別のグループは、私と同じように空間群 C2 で悩み抜いた末、PDB(タンパク質構造データバンク)に「SERENDIPITY IN PROTEIN CRYSTALLIZATION(タンパク質結晶化におけるセレンディピティ)」という、少し自嘲のこもったタイトルでデータを登録していました。

謎が解けた後、私は当時の恩師や研究室の先輩に、「あの結晶、実は大腸菌のコンタミでした」と報告して回りました。

論文にはならない謎解きの記録として

研究者というのは因果なもので、長く追いかけていた仕組み――なぜ分子置換で解けなかったのか――がわかってしまうと、結果がどうであれ、それだけで心の底からすっきりしてしまいます。謎そのものが解けたことには、とても満足しています。

ただ、相手が「よく知られたコンタミ」である以上、そこに新しさはなく、学術論文として発表することはできません。真相がわかってすっきりした気持ちと、形に残せない徒労感。その宙ぶらりんな気持ちの行き場として、せめてここに書き残し、本来なら闇に葬られていたはずのデータの供養にしたいと思います。

読者のみなさんの周りにも、研究に限らず、「ずっと理由のわからなかった出来事が、ある日思いがけない形で、それも少し笑える形で腑に落ちた」というような経験はないでしょうか。もしそんな話があれば、よければこっそり教えてください。

0 件のコメント:

コメントを投稿