2026年3月15日日曜日

VTuber教員の投稿から思い出した、20年前のアカデミアの空気

今日、X(旧Twitter)で、大学教員として働きながらVTuberとしても活動されている方の投稿を目にした。「動画編集ができるようになったおかげで助成金に採択された」という内容で、その明るい報告を読みながら、私はふと古い記憶を思い出していた。

20年以上前、当時東京大学の助手だった池谷裕二先生が、一般向け書籍の出版やメディア出演について周囲の研究者からたしなめられた経緯を、自身のWebサイトに書いていたという記憶だ。

アウトリーチ活動が広く推奨される現在からは想像しにくいかもしれないが、当時のアカデミアには、一般向けの発信を「本業の邪魔」「余計なこと」とみなす空気が確かにあった。あの文章をもう一度読みたくなった私は、Wayback Machineなども使いながらしばらく探し回った。すると、当時の個人サイトは消えたわけではなく、古いディレクトリの中に今もそのまま残っていることがわかった(実際のページ:http://gaya.jp/media/what_is_science.htm)。

20年ぶりに再読したその文章は、記憶していた以上に切実なものだった。

池谷先生はそこで、「なにより研究が好きである」「テレビや本の執筆の大半は自分ではやっていない」「活動は早朝・夜・休日のみに行っている」と、いくつもの但し書きを重ねながら、自分の立ち位置を丁寧に説明していた。それは弁明といってよいほどのものだった。

今も変わらない危機感と「同業者の目」

現在では、アウトリーチ活動は科研費の申請書でも評価される項目になり、メディアで発信することへのハードルは大きく下がった。それでも、池谷先生の「私は研究中心の生活を大切にしている」という言葉は、今も変わらず重要だと私は考えている。

アウトリーチ活動の方が生活の中心になってしまえば、それは本末転倒だろう。終身雇用の職にあれば定年まで身分を維持することはできるかもしれないが、研究者として幸せな生活は送れないように思う。私自身は幸い、現在は終身雇用の教授という立場にある。それでも、あの文章に流れていた危機感は、20年経った今も他人事とは思えない。

振り返れば、私も20代の若手時代から独自ドメインを持っていたが、そこで積極的に発信することはほとんどなかった。当時は「教育や研究で手が回らないからだ」と思っていたが、今なら別の理由も見えてくる。そこには「同業者の目」という意識が、確かに働いていたのだ。

学生時代に読んだ筒井康隆の『文学部唯野教授』を思い出す。小説家としての活動を学内に知られまいと、本名を伏せて立ち回る唯野教授の姿は、誇張されてはいても、決して絵空事ではない。

実際、私はXやこのブログで、氏名をローマ字表記で通している。海外の研究者と英語論文のやり取りをするうえでの利便性という実際的な理由もある。ただその根底には、漢字の本名をそのままネット上に出すことを避けたいという、一種の自己防衛が働いている気がしてならない。

つい最近も、このブログに科研費に採択されたというタイトルの記事を書いた。しかし、私よりはるかに大型の予算を獲得している同業者の顔が思い浮かび、気恥ずかしくなって、Xのタイムラインには流さずブログに置いたままにしている。これもまた、同業者の目を意識してのことだ。

AIブログという新しい試みと、変わらない心理

そんな私がいま、ブログの執筆に生成AIを全面的に取り入れるという実験をしている。

「AIの利用が面白く、実験として楽しんでいる」というのは本当だ。ただ、この一連の取り組みを通して、自分でも意外な「本音」に気づかされた。

私がAIを使う理由の一つは、「AIで効率化しているので、記事の執筆に自分の時間はほとんど使っておらず、研究時間は削られていません」と言えるようにしておくこと——つまり、かつての池谷先生と同じ種類の「言い訳」を用意しておくことなのだ。

このブログの中で、科研費を取得していることや論文をきちんと書いていることを折に触れて記しているのも、同じ理由による。一流誌に筆頭著者や責任著者として論文を発表し続けられるような圧倒的な業績でもない限り、研究者は「本業をおろそかにしていない」ということを、周囲に、そして自分自身に示し続けなければならないのだろう。

個人のHTMLサイトからVTuber、そしてAIを使ったブログへと、発信の手段は変わり、社会の受け止め方も変わった。一見本業と関係のなさそうな活動が、研究に還元される時代にもなった。

それでも、「Publish or Perish(出版か、さもなくば消え去るか)」という言葉が示すように、研究者の心理と、この世界の基本的なルールは、それほど変わっていないのかもしれない。新しい発信の形を試しながらも、「なにより研究が好きである」という原点だけは、見失わずにいたいと思う。

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