(※本稿はAIとの対話による自動生成テキストです。筆者は「一文も書かない」制約を課し、語句の最終調整のみを実施しました。)
今日、X(旧Twitter)で大学教員として働きながらVTuberとして活動されている方の投稿を目にした。「動画編集ができるようになったおかげで助成金に採択された」というその明るい現在地を知り、私はひどく懐かしい記憶を呼び起こされていた。
20年以上前、当時東京大学の助手だった池谷裕二先生が、研究以外の一般向け書籍の出版やメディア活動について、周囲の研究者からたしなめられ、叱責されたと自身のWebサイトに書いていた記憶だ。
現在の「アウトリーチ全盛時代」からは信じられないかもしれないが、当時のアカデミアでは、一般向けの発信は「本業の邪魔」「無駄なこと」とみなされる空気が確かにあった。私はその強烈なテキストをもう一度読みたくなり、インターネットの過去の地層を掘り返した。Wayback Machineを駆使して執念で探し回った結果、当時の個人サイトは消えたわけではなく、古いディレクトリの奥底に今もひっそりと残存しているのを発見した(実際のページ:http://gaya.jp/media/what_is_science.htm)。
20年の時を経て再読したその声明文は、非常に生々しかった。
池谷先生は、「なにより研究が好きである」「テレビや本の大半の執筆は自分ではやっていない」「活動は早朝・夜・休日のみに行っている」と、幾重にも予防線を張り、必死に自分の立ち位置を弁明していた。
色褪せないリアルな危機感と「同業者の目」
現在ではアウトリーチ活動が科研費の申請書でも評価される時代になり、メディア発信のハードルは劇的に下がった。しかし、私は池谷先生の「私は研究中心の生活を大切にしている」という言葉は、今でも絶対的な真理だと考えている。
もしアウトリーチ活動の方が中心になってしまえば、それは完全に本末転倒だ。終身雇用の助教などであれば定年まで職を維持することはできるかもしれないが、幸せな研究者生活は送れないだろう。私自身は現在、幸いにして終身雇用の教授という立場にあるが、そのリアルな危機感は、20年経った今も全く色褪せていない。
振り返れば、私自身も20代の若手時代から独自ドメインを取得していたが、そこで積極的に発信することはほとんどなかった。当時は「教育や研究で手が回らなかった」と思っていたが、今ならわかる。そこには明確に「同業者の目」という壁があったのだ。
学生時代から愛読している筒井康隆の『文学部唯野教授』の世界が思い浮かぶ。純文学で芥川賞を取ってしまう事態を避け、絶対に本名を明かしたくないと立ち回る唯野教授の姿は、決してフィクションではない。
事実、私はXやこのブログにおいて、氏名のローマ字表記を徹底している。もちろん、海外の研究者と英語論文のやり取りをするための利便性もある。だが根底には、漢字の本名を直接ネットの海に晒すことを避ける「一種の偽名」としての自己防衛が働いている気がしてならない。
つい最近も、自分のブログで科研費採択に関する自信満々なタイトルの記事を書いた。しかし、私よりはるかに大型の予算を獲得している同業者の顔がちらつき、ひどく気恥ずかしくなって、Xのタイムラインに流すことはできずブログにひっそりと置いたままにしている。これもまた、同業者の目という呪縛だ。
AIブログというフロンティアと「変わらぬ本能」
そんな私が現在、このブログの執筆に生成AIを全面的に導入するという「フロンティア」な実験を行っている。
「AIの利用が面白く、実験として楽しんでいる」というのは本当だ。しかし、この一連の対話を通して、私自身が一番驚いた「本音」の気づきがある。
私がAIを使う本当の理由は、「AIを使って効率化しているから、記事の執筆に自分の時間はほとんど使っておらず、研究時間は削られていませんよ」という、かつての池谷先生と全く同じ「言い訳」なのだ。
私がこのブログの中で、科研費を取得していることや、論文をちゃんと書いていることを事あるごとに強調し続けているのも同じ理由だ。Nature、Scienceなどの一流誌に筆頭著者や責任著者で論文を連発して周囲を完全に黙らせることができる圧倒的な業績がない限り、研究者は常に「本業をおろそかにしていない」という証明を周囲に、そして自分自身に提示し続けなければならない。
個人HTMLサイトからVTuber、そしてAIブログへと、発信のツールは進歩し、社会の常識も変わった。一見無駄に見える挑戦が本業に還元される素晴らしい時代にもなった。
しかし、「Publish or Perish(出版か、さもなくば消え去るか)」という言葉が象徴するように、研究者の本能と、この世界の根本的な生存ルールはあまり変わっていないのかもしれない。私たちは新しい発信の形を模索しながらも、結局のところ「なにより研究が好きである」という原点を見失ってはならないのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿